お茶を急須で入れることを知らない

 昨日の朝日新聞の天声人語で、「急須を知らない世代 」について書いていました。
 家で母親がお茶を作っているところを見たことがない(いれるという表現を知らないのだそうです)という子供たちが増えているということです。 
 日教組の教研集会で福岡県立高校で冬に急須でお茶を入れてる家庭が2割とか。天声人語では、「コンビニの便利さと引き換えに大事なものをこぼして歩いているようで、立ち止まりたい時がある。」と結ばれています。
 家庭でお茶が飲まれないということの原因のひとつに、面倒だからコンビニで買ってということもあると思います。でも、それは原因ではなく結果のような気がするんです。
 お茶をいれて飲むというところから浮かぶのは家族の団欒。みんなでおやつをとか、食後に一杯のお茶をということが浮かんでくるんです。こういう時間が取れなくなってきているのではないか。お父さんは残業で、お母さんはパートからの帰りに出来合いの食材を買ってきてついでにお茶も買う。食卓にはペットボトルが並ぶ。こんなことではないかと心配になります。
 家族みんなでお茶をいれて飲むことが出来ない状態ではないのかと思うんです。子供の個食という言葉があります。親が仕事でいないので一人で食事をする、そんな子供が多くなっていると聞きます。そんな状態なら、自分でお茶を入れさせずにペットボトルを置いていたほうが親としたら安心です。
 生活が洋風化して・・・とかいうのもあるのでしょうが、雇用形態や時間外労働が当然などという社会で家族という基本的な社会の単位が崩壊させられてきている結果だと思えてくるのです。
 私が若い頃、お茶をいれられない女性はお嫁に行けないと、お茶のいれかたは家族が教えていたはずです(女性を差別している訳ではありませんよ)。それが出来ない・・・そんな余裕がない時代。面倒だからコンビニでという背景をもう少し掘り下げなければならない気がします。

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