孤独死の防止は商店街復活で!!
今日の朝日新聞の朝刊ですが、北九州市の過去1年間の「孤独死」が少なくとも231人に上るという記事を載せています。「孤独死」という定義もあいまいで正確な統計も無いということですが、231人という数字に驚きますよね。
北九州市はこの調査を基にして、孤独死防止策として新年度から専門職員を配置し、地域住民らによる「見守りチーム」をつくり、孤独死の恐れがある住民の情報を収集した「見守り台帳」も作るそうです。
北九州市で、こうした取り組みが始まるということはいいことです、が・・・、街の人々の助け合いと連帯ができにくい世の中になってしまったということですよね。
こうした、一人暮らしのお爺ちゃんやお婆ちゃんを時々でも声をかけていた仕事がいくつかありますね。
私が以前やっていた家電屋さんもそのひとつです。カタログを配る時、一人暮らしの所は「元気しとうね。」と声をかける。なんか困ったことがあれば仕事をいただけるんです。「電球替えて」「冷房が効かん」などなど。
電話で配達をしてくれる街の八百屋さんも頼りになります。お婆ちゃんが魚を買いに行けば、私の同級生のAちゃんみたいな気のいい魚屋さんが話し相手に。
これって何か感じますよね。みんな昔の「○○屋さん」ですね。街の小さな商店です。商店街が消えた後は、何故か人の連帯が消えていった。商店とはモノだけでなく、やさしい心や人間の連帯を売っていたような気がします。
一見便利そうな大型店。大型電器店の社員が一軒一軒回りますか?人減らしはしても、そんなことに社員は回しませんね。スーパーの肉売り場で、一人暮らしには多すぎる肉を買っていませんか?野菜・魚も然り。
便利ちゃなんですかね・・・。私達が幼い頃元気があった街は、人の連帯の心であふれていた。大切なものを取り戻したいですね。
先日、韓国の釜山に行ったときに大型店として目に付いたのはロッテ・デパートと国際市場の隅にあった農協の販売所。活気がある国際市場は、衣類から古着・鞄・靴、韓国のファースト・フードから揃う楽しいデパートです。みんな元気で活気がありました。「便利さ」という不便さを将来招く虚構のために多くの商店街の商店主がなくなく店を閉める。なんと悲しいことか・・・。
孤独死を自治体が憂うなら、大型店と地域の商店の共存できる街づくりで助け合い、連帯の街を復活させていくことを考えるべきでしょうね。こんな街で育つ子供たちは、助け合いと連帯の心を持った素敵な子供たちになると思いますよ。