所信表明演説

昨日、麻生首相の所信表明演説が行われ野党やマスコミの反発を受けています。所信表明演説なのか、民主党への代表質問なのか分からないような演説でしたね。
 これまで自民・公明連立政権が進めてきた政策の転換があるわけでは無いようです。この演説、こうしたい、ああしたいというが具体性をあまりかんじません。このような演説ですので、野党の攻撃をかわすために民主党への先制攻撃で逆質問したのか・・・。
 政治家のあり方、政治のあり方が問われますね。こんなに2世だ3世だと続くと、政治家が何時の間にか特権階級のようになって、家柄が言われ国民の本当の代表でなくなっていくようです。
 「ぼっちゃん」たちは国民のための福祉を破壊し、国民の財産を民営化し、平気で政権投げ出しをやる。苦しいギリギリの生活の実体験がない分平気でやれるんではないか。小泉さんが議員を辞めるというのは、小泉改革の本質がマスコミなどを通じて明らかになりつつあるので辞めたのでは・・・と勘ぐりたくなってしまいます。どうも、私たち庶民とは感覚が違っているような気がしてならないのです。
 麻生首相が「強い日本、明るい日本」を作るというときの強い日本とは何なのか・・・。強いという言葉はさまざま使えますが、何が何にどういう風に強いのかを明らかにしなければなりません。「難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層飛躍を成し遂げる国」が強い国ということですが何のことやら分かりません。何か他に強いということを強調したいことでもあるのでしょうか。
 また、明るい国にいたっては「幕末、我が国を訪れた外国人という外国人が、驚嘆とともに書き付けた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、決して豊かでもないにもかかわらず、実によく笑い、微笑む国民だったことを知っています。この性質は、今に脈々受け継がれているはずであります。よみがえらせなくてはなりません。」ということだそうです。貧しくても我慢して笑って生きてゆけということでしょうか(怒)。
 笑って生きれる状況ではありませんよね。生活の苦しさからみんな笑える状況ではないが、国民はにこやかに生きようと努力しているんです。心のそこからよく笑い、微笑むことが出来るような社会となることが必要です。
 私たちの代表であるはずの政治家が、私たち庶民と違った世界にいて明るく生きろなんてわけの分からないことを言う。私たちと感覚が違うんですね!
 現在の私たちの生活の厳しさは、福祉を破壊し安い労働力を確保するため派遣労働者など不安定雇用を作り上げて来た政治の皺寄せですよね。
 国民の生活が改善できる具体的な政策を提示できないところに国民の本当の笑いはありません。私たちが政治家に現状を訴えなければ政治は変わらないし生活の厳しさを打開できないと思います。 

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