核兵器は平和をもたらさない!

 例えば、私がナイフを隠し持って天神を歩いていて、警察官と出会いちょっとひるむと・・・すかさず職務質問が始まりオロオロするとポケットの中のものを見せてくれとなってナイフを発見された・・・・。
 これは犯罪ですよね。誰が凶器を持っているか分からないので、護身用にもっていると言ってもこれは許されません。
 そしたら、公然と地球を何回も破壊し尽くすほどの核兵器が何で許されるのでしょう?
 もっと言えば、戦争は人殺しを合法化して国の支配的な人たちの利益や面子を守るものでしかない。国民は、この人たちに踊らされて、平和のためと常に非平和的手段の戦争へとかり出されてしまいます。多くの人を殺せば勲章をもらい誇りとする。
 例え話のときの「警察官の役割をする人々が必要なのではないか!」と私は思うのです。でも、どこの国も、いざ戦争となれば、警察権力は戦争に反対する人々を取り締まる側になるんですよね。
 では、どうすればよいのか?私は、戦争はいけない、核兵器は無くそうと言う声をあげていくしかないと思うんです。これは、思想や信条の問題ではなく、私たちが安全に生活をし子供を育てていく当然の権利の具体的な行使だと思うんです。だから、世界中の多くの人と連帯できる。人道を説く宗教者も宗派を超えて連帯していけるのではないか。
 こういうと、平和ボケとか一国平和主義とか言われそうですが、軍備を拡大して平和をと言う矛盾だらけの奇妙な平和を語る人々の議論より現実性があると思うのですが・・・。
 そんな声を挙げたいと、昨年の広島に続き「原水爆禁止世界大会・長崎大会」に参加しました。私は、難しい政治論議より平和を求め、核兵器を禁止したいと言う声を集めて、これまでの経験を活かしながらみんなで「こうしよう、ああしよう」と語りながら平和のための運動を練り上げることが出来ることを願っています。
 オバマ発言以来、核兵器を無くそうという世論が世界中で盛り上がってきていることを感じます。広島市の慰霊式典にはアメリカを始めとする核保有国の代表が参加し、国連事務総長も長崎・広島と参加されました。
 戦争の犠牲になるのは、私たちのような庶民です。戦争で潤うことは無いんです。生活を守るため命を守るため平和を求め核廃絶を求めて生きたいと思います。
 孫たちに平和な世界を残すために「平和やけん健康たい!」(平和だから健康です・・・を博多弁で言いました)と叫びたいと思います!
整体の爽快館のホームページ

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