社会が育てる
今日、取引先の若い社員が来院して、納品を済ませ「また、宜しくお願いします!」と笑顔で深々と頭を下げて帰りました。なんと気持ちの良いことか!
最近、どこへ行っても日本語なのか何なのか分からないような言葉で、作り笑顔というような顔をしている店員が多いですね。マニュアルの通りなのでしょう。もっと個性を生かすことができるマニュアルはできないものか・・・。
そんなことを考えながら、自分の若い頃を思い出しました。私は中途採用でしたが、後輩の新入社員を迎えての昼食会での社長のお話が今でもよみがえります。
「新入社員は、初めて社会に出てこれから社会人として育っていくのです。みなさん、立派な社会人として育てようではないですか!もし、何かの事情で、この会社を辞めることになっても、あの人は立派な青年だといわれるように。そして、あの会社に勤めていたんだ・・・だから礼儀正しいはずだといわれるようにこの会社で育てていきましょう。」というような話でした。どの会社も、社会に通用するような人材を育てることが、企業の社会的責任と考えていたし、そのような社員を育てることで会社の活性化が図られ、成長してきたのですよね。
そして、そんな中で仕事ができる先輩を目指して勉強していった。しかられ、誉められ、喧嘩もしながらですよね・・・育ってきました。会社にとっていい人材は宝物でした。
でも、先ほどの青年の会社と違って、安い労働力ということで非正規雇用の労働者を多用するのが当たり前になってきました。単純化された作業で、誰にでもやれるようにマニュアル化されているのでしょう。それも、週に数日働くだけ・・・とても生活もできない。
青年達の幼児化というか行動の子供っぽさが目立ってきました。これは、自立できない経済的な理由が大きく関係しているのではないかと考えてしまいます。
私の子供の同級生達の多くが非正規雇用です。そこには、かつて私の勤めた会社の社長のような社会的役割を果たしていくという気持ちがあるのか考えてしまいます。さまざまな偽装が話題を呼びます。誤魔化しても稼いでやろうという気持ちしか感じないことが多くなりました。何故か関連を考えてしまいます。
青年達が、今後の日本を背負っていけるように育てていく役割を、社会が担っていかなければならないですよね。労働条件、希望と誇りの持てる仕事、かつて私達が当たり前と思っていたことが破壊尽くされてきた。
真剣に考えて行かなければ・・・・。