私たちは戦争は嫌だ!!
また、『ごちそうさん』の続きを書かせていただきます。今週も、いろいろと考えさせられながら見ました。
終戦でめ以子は疎開先から大阪に戻りました。大阪は空襲で焼け野原、そこで生きて行く為にめ以子は闇市で食べ物の屋台を始めます(ここのところ何故そうなったか見損なってよく分かりません・・・)。
そこへ泰介が帰って来ました。ここは感激の場面でしたね(涙)。
泰介とめ以子の会話は本当に当時の人々が抱いた疑問や戦争を振り返った言葉だと思います。
二人の会話は、
泰介の「僕が行った後どうしてた。」の問いにめ以子が応えます。
「一人で畑して、一人でご飯食べてた。
畑てな世の中なんよ。普通に手入れしていて何でていうことが起こるんよ。
お母ちゃんの世話なんか大きいところ関係ないんや。
無力やなーて、そやけど、ほなどないしたら良かったんやろか?
そんなことばっかりかんがえてた。」
泰介「答えは出たん?どうしたら良かったて」
「笑われても、怖あても、恥ずかしいでも言わないかんことは言わないかん。
おかしいと思たら言わないかん。
これは、無力な大人の責任や。
偉い人はそれを言わさないかん。それを聞く耳もたないかん。
どっちも無責任やったんや!」
戦後の民主主義が押し付けられたものとか言われますが、庶民はこう考えていた。
今朝のめ以子は、闇市への警察の手入れで米を奪われるとき警察を突き飛ばし叫びました。
「この米は私の米や!
どんだけ取ったら気が済むんや。
食べるもん取られて、家も旦那も子供も・・・何もかんも取られてここにおるんや。
みんな、みんなそうや。死んでしまうからしてるんや。
私らに、これ以上死ねと言うんか、これが罪と言うんやったら飯食わせ!!!」
心から叫びでした。
これは、ドラマだからの話ではないようです。
両親や祖父、学校の先生(私が小中学生の頃の先生たちはみんな戦争体験者でした)たちは、同じような思いを語っていました。
以前も書きましたが(カテゴリー「平和やけん健康たい」の過去の記事をご覧下さい)、私の母方の祖母は、髪結いだったそうですが、字の読み書きも出来ない人でした。その無学な庶民が、戦争中に貧しく中学(旧制)に行けなかった伯父が友人から譲り受けた英語のリーダーを床下に隠していたといいます。戦前にも中学では英語を教えていたようですが、学生でもないものが英語を勉強するということは、スパイの嫌疑がかかりかねないという時代だったそうです。
祖母は、いつかアメリカとも仲良くなるときが来る。そのときに正義(伯父の名)が勉強できるようにと隠したということです。しかし、伯父はフィリピンで戦死・・・。
祖母は、戦後に女性にも参政権が与えられたときに、選挙公報を家族に読んでもらって平仮名を練習して選挙へ行ったそうです。
庶民は、あの戦争で多くのものを失いました。その中で、もう戦争はしないとみんなで決意したのですね!
おかしいと思ったら声を挙げなければならない・・・め以子のあの言葉は大切にしていきたいと思いました。