自決・・・
玉音放送を聴き、それぞれ故郷への岐路に着くとき「もし、お前たちが家に帰る途中でアメリカ兵に襲われるようなことが有ったら、これで自決しなさいと手榴弾を渡された。しかし、襲われることなく帰り着き、信管を抜いて火薬を捨てた。」と、話してくれたのは予科練に志願して訓練を受けていたという中学時代の恩師O先生です。
最近、爽快館に来られる80歳の女性の方の話も似たような話でした。陸軍省の物資を海外へ送り出す部署の職員だったそうで、門司港に事務所があったということです。終戦後ここで、上司である軍人に「アメリカ兵に辱めを受けるようなことがあれば、これで日本の女子として自決しなさい。」と手榴弾を手渡されたそうです。終戦を迎えた後のことです。みんなで、「これどうする?」「危ないね。海に捨てましょう。」と海に投げ込んだということです。終戦直後も、まだ自決用の手榴弾があって、まだ、自決が語られていたのですね。
死ぬことが「美しいこと」とされていた時代ですから、平気で死になさいというし、死ぬということが親切心で語られていたのではないかとか思ってしまいます。しかし、親切に言われたとしても、死ぬ側にすれば苦痛・恐怖ですよね。人の命をなんと思っているのかと怒鳴ってやりたい。でも、それができない時代だったんですね。
今日の西日本新聞夕刊に「集団自決『軍深く関与』」、今日「沖縄ノート」訴訟判決が出たという記事が。「元守備隊長らが命令を出したとは断定できないとしても、大江さんらが命令があったと信じるに相当の理由があった」と判決は述べています。私たちの子や孫が学ぶ教科書に大きな影響を持つ判決ですね。
私たちの祖父母や父母が、戦争によりどれだけ被害を受けたか、又アジアの人々に苦しみや被害を与えたか正しく子供に伝えていきたいですね。