(続)歴史認識・・・・
昨日と今日の『ごちそうさん』はご覧になりましたか?
昨日は、大阪空襲で家を焼かれ義姉の嫁ぎ先に身を寄せた。長男の泰介に赤紙(召集令状)来てしまい送り出すときにイケズの義姉が泰介の好物の柿の葉寿司の代わりにチマキを作ってくれて送り出しました。
出征の前日の夜の泰介とめ以子の会話は涙が止まりませんでした。ご覧になった方もきっとそうですよね!
「僕はやりたいことがいっぱいある。また、野球もしたい。
酒ものんでみたい。殴り合いの喧嘩もしてみたい。自分をかけた仕事もしてみたい。誰かをアホみたいに好きになってみたい。
僕にそれを許さんかった、この時代を絶対許さへん!
僕は、この国を変えてみたい。そやから這ってでも帰って来るさかい生き返らせてや!
あそこで、またみんなでご飯食べさせてな!!」これに応えため以子は「任せとき」
誰も、男の子は戦争に行って靖国神社で神として祭られてなど考えないのでは・・・
さまざまな夢を持ちながら国の推し進める戦争政策のために夢を諦めなければならない多くの青年たちがいたんですよね。潔く死に行ったなんて言って美化しないでほしい!
そして今朝の「ごちそうさん」では、次男活男の戦死の公報が届きました。今朝も泣きながら見てしまいました。
め以子は「こんなことの為にご飯作ってきたんと違う」と怒り、動揺する。そして、死のうと山へ・・・死にきれずに助けられました。
義姉に蒔いたダイコンが枯れてるとひどく叱られ我に帰りました。それから、悲しみを忘れるようにか野菜作りに励みました。
義姉がめ以子に言ったことがあります。「子供亡くすというんは、1年やそこいら泣き暮らしたかてどうにもなりまへんで。慣れんのに10年20年。人によっては一生かかりますで。それは覚悟したほうがええで・・・!!」
そうなんです。祖父は長男(私にとっての伯父)がフィリピンで戦死していくつになっても思い出しては泣いていました。一生かかっても慣れることないですよね。
番組の最後に玉音放送が、め以子の「終わった」という声。
ちょいと長くなりましたので中途半端ですが、続きは明日書きます。