今日も暮れ行く・・・

 テレビで「李香蘭」を見ていて、思い出したり考えたりしました。
私が小学3年生の時、初詣に大宰府に行った時のことです。
 アコーディオンの音が響き、数人の男の歌声が聞こえて来ました。
   ♪今日も暮れ行く 異国の丘に・・・・
 白い浴衣のようなものを着込み兵隊さんのかぶる帽子をかぶった男達が歌っています。一緒に歩いていた祖父が小走りに近づいて行きました。
 よく見ると、アコーディオンを弾く人は膝から下は義足、下を向いて四つんばいで頭を下げ続ける人は両腕ひじから先は無い、両足膝から下は無い。他の数人はみんな足や手が無い。その姿を見て恐怖感で一杯でした。
 祖父は、財布からお札を取り出すと、その中の一人に手渡し、キオツケの姿勢で「ご苦労さまでした。」というと、深々と頭を下げました。受け取った人も頭を下げて礼を言いました。他の男達は、歌を続けながら頭を下げています。
 祖父は、黙って私の方に顔を向けずに歩いていきました。ハンカチを出し顔をぬぐいながら黙って歩いていくのです。
 私は、“じいちゃんが泣いた”こと、男達の姿が目に焼きついてしまいました。私が幼い頃、こういう傷痍軍人といわれる人々を街角で見かけることがありました。
 色々と、そのことについてご意見はあるでしょうが、私の祖父は戦死したわが子を思い出すのか、こういう姿の人々を見るのが辛いのか、いつもお金を差し出し「ご苦労さまでした。」と声をかけ涙ぐみました。そして、もう戦争はしたらイカンと教えてくれました。
 今日は建国記念の日です。神武天皇が即位した日ということで戦前は紀元節と呼ばれていたそうです。でも、この国を作ったのは私たちの先祖ですね。当時の武力を持った支配者だけが作り上げたということでは無いと思います。
 日本はあの戦争で、戦死した人々、私の祖父のように家族を亡くし死ぬまで悲しみ続けた人々、また、さまざまな怪我や原爆症などの病気を負っ人々の犠牲の上で、世界に平和な国家として宣言し、主権は国民にあるということを明文化した国です。その国が、戦前に国民を戦争にかりたてていった思想的背景ともいうべき「紀元節」を何故「建国記念の日」に・・・と思うのです。いまや国の主人公・主権者は国民ですよ!!存在したと思えない人物の即位の日が国の始まりとはあまりにもおかしい。
 憲法の平和主義の考えは、現在の世界情勢に合わないかのごとくいう安倍総理の考え方は分からない。憲法は未来にも輝き続けると私には思えます。
 さまざまな意見があって当然です。でも、アジア太平洋戦争で多くの犠牲を払って日本人が学んだことは忘れてはいけないと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です