赤紙が来て出征して

  NHKの朝ドラ『カーネーション』の主人公の夫は、赤紙が来て出征してしまいました。当時は当然のこととだったんですね。でもね、先週は主人公の幼友達が戦地から送ってきたハガキに黒い墨が塗られていたことに憤りを覚えるシーンがありましたね。
 多くの国民が嘘で固められた大本営発表を信じてはいなかったようですね。わたしの祖父母もそうだったようです。でも、みんな疑問を持ちながらも「それを言うとどうなるか・・・・」と恐れを抱き黙り込んでいた人が多かった。
 何だか、これって『裸の王様』状態とでも言いましょうか・・・ですね。その時代にわたしが生きていてどうしたかは分からないんですが、そんな状態だったということは確かですね。
 そして、勇ましく戦争を煽っていた者たちについての東郷茂徳(日米開戦時と終戦時に外務大臣であったそうです。戦争回避に全力をあげたが報われず開戦時の閣僚としてA級戦犯となった)の獄中で詠んだ短歌が朝日新聞の天声人語に紹介してありました。そして、権勢を振るっていた軍人達の一皮むいた「小物ぶり」への憤りも紹介されていました。
 今だからこそ言えるのですが、誰が考えても国力の違いが明白なのに国民の「いのち」を犠牲にした戦争が必要だったのか、何故防げなかったのかに大きな疑問を持ってしまいます。
 やはり、大切なことは「王様は裸だ!」と叫んだ子供の純粋な心と、正しい情報の公開、自由に発言出来る権利の確保、国の指導者は国民の意思で選ぶということですよね。
 昨日は日米開戦から70年目の日でした。終戦までにいかに多くの国民を犠牲にしたかを考える日にしたいですね。私たちの子供たちに平和な日本を残していくために・・・・。
 余談ですが、祖母は貧しい家で育ったようで学校にも行っていないんです。字も読めなかったそうです。成績優秀な長男(私の母の兄)を、これまた貧しくて旧制中学にやれなかった。それで長男は旧制中学に行った友人からテキストを譲り受けて独学していたんです。
 そこへ赤紙が来て出征。祖母は英語のテキストを油紙(昔はビニールの袋がなかったもので防水のために油で加工した紙を使った)に包んで床下に埋めたそうです。英語をコソーッと勉強しているとスパイの嫌疑がかかることを恐れたようです。当時の宇野家の誰にも言えない秘密だったとか。
 祖母はいつかアメリカの人たちと仲良くなれる日が来ることを信じていたんです。その日のために息子に勉強して欲しかったんですね。その夢は戦死ということで実現しなかった。
 考えてみれば、字も読めない教養の無い祖母が、平和を求めて治安維持法とこっそり闘っていた。先に書いた「小物たち」よりどれだけ先見の目があったか。
 そして、戦後女性参政権が認められたら、選挙の時は選挙公報を娘(私の母や叔母)に読んでもらって投票に行ったそうです。候補者の名前をひらがなで書く練習を繰り返して・・・・。
 
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