歴史認識て何かいな?

 『八重の桜』を見ていると、幕末の志士達に影響を受けた私にとって奇異なことと感じることが多いんです。長州も薩摩もとんでもない連中で・・・西郷さんなどは、これまでの幕末ものとは違った描き方です。
 視点を変えればこうなるのかと感心することが多いですね。歴史も立場の違いなどで、全く違ったものに見えてくるようですね。
 話が飛躍するかも知れませんが、歴史をどう見るかを最近よく考えるんです。
 安倍首相や橋下日本維新の会共同代表の発言が問題になっているから何ですが・・・。
 近隣諸国との軋轢は、国の違いだけでは片付かない気がするんです。かつて、日本は村山首相のときに、近隣諸国への侵略についての反省を公式にしていたはずですよね。これは、さまざまな証言から日本のやったことへの反省で、ここから外交は始まるものだと思います。でも、これは正しい認識では無かったという。
 「日本・・・」「日本・・・」と仰いますが、日本という言葉で日本人全体の総意のような発言には腹が立ちます。
 あの、戦争を起こした日本。でも、日本人の多くは喜んで戦争をしたのでしょうか?
 軍国教育を受けて志願して戦に加わった私の父達の世代の多くは、戦後には自分達の受けた教育や社会体制に疑問を持ったという話を聞かされました。
 戦争をやったのは日本。だが多くの国民も多大な被害をこうむったし、近隣諸国にも大きな被害を与えたということのようですね。ここから、話を持っていかないと話が分からなくなってしまいます。「国を守るために死ね」といわれて、誰が誰の命を守る戦争であったのか。
 子や親や兄弟をあの戦争で失った方々が、本当に名誉の戦死で、立派に死んでいったとか思っているのでしょうか?
 少なくとも、私がこの60年間生きてきて、そんな方はいなかった。
 立場や環境で歴史認識は変わると思うのですが、戦争に駆り出されたり空襲で家を焼かれたりした立場からの歴史認識が、反映されずに日本の立場とされることに同意はできないんです。そして、あの戦争を美化していけば、必ずアメリカの日本への批判の世論が巻き起こるでしょう。堂々と世界に向かっていうべきは、戦争を美化することでなく平和の大切さであってほしいと思います。
 今後、私たちの立場に立った歴史認識をまとめることが大切だと思います。
 

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