如是我聞

 仏教の経典には如是我聞という言葉で始まるものが多々あるそうです。「私はお釈迦様から、こんな風に聞きましたよ。」という意味だそうで。お釈迦様もいろんなことを話されたと思うし、解釈も色々あるでしょう。それで「私はこう聞きました。」と、頭につけてお話しする。それがお釈迦様の没後にお経の編纂に当たった方々のよりよいものを求める知恵だったのでしょう。
 九州八十八箇所の巡礼の旅に参加したときに(まだ、四国も九州も部分的にしかおまいりしてませんが)先達としてお話くださった若いお坊さんが、「あの人は三回唱える真言を一回しか唱えないので間違いだと言ったりして困らせる方がおられます。それは、習った方が違うだけです。やり方が違うだけ。仏の前で手を合わせる心は皆いっしょなんですよ。一本や一回にこだわらないことです。」というようなお話をされ、良い事をおっしゃるなと感心したことがありました。
 今日、「月間秘伝」10月号を買い、三浦寛先生・河野智聖先生の対談を読んで、何故か如是我聞と若いお坊さんのお話を思い出したのでした。
 操体法は、学んだ方々それぞれの工夫で様々な歩みをしています。橋本先生の研究の深まりで、直弟子であった先生方の学ばれた時代によっても技法に差も出てきていることでしょう。
 ということで、「月間秘伝」橋本先生の晩年のお弟子さんの三浦先生の考え方も操体法を学ぶことにとって貴重なひとつのご意見として読みました。
 橋本先生の言葉で、私が好きな言葉です。(以前も書きましたが・・・もう一度書かせていただきます。)
 「御便り拝承、操体法は専売特許ではありません。大自然の公法の一部です。誰でも理解できた人は受益し、他人にサービスすべきものです。しかし、息・食・動・想・境(環境)の関連から考えて、原理が分かっても境が汚染され、食が毒かされている現代では開眼の徒はスクラム組んで恢復の戦に加はるべきです。」(橋本敬三先生から瓜生良介先生への葉書)
 公法を正しい正しくないの二者択一の問題にするより、皆で掘り下げていくことの方が楽しいですね。とかいったら怒られたりして・・・。お金と時間がある方は、是非「月間秘伝」読んでみてください。今月号は、「整体で強靭くなる!」の特集です。本屋さんの武道の雑誌の中に有りますよ。
 ああ、三浦先生の対談は立ち読みでも読める長さです。ご参考に!!
整体の爽快館のホームページ

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