8月15日に思うこと
今日は日本が連合国に無条件降伏した日ですね。
多くの日本人のいのちが奪われ、アジアの国々にも多大な損害を与えた戦争が終わった日です。
この数日、NHKなどの特集番組を見て、改めて戦争のむごさを感じています。昨日は、フィリピンで、どのような戦闘や残虐行為が行われたかを知りました。マニラでの攻防戦により日本の将兵の戦死者より、マニラ市民の犠牲者が多いということです。マニラ市民が避難もできずとどまる中、アメリカ軍の兵士の犠牲を出さない為にと砲撃を行った米軍もマニラ市民の命をなんと思うのかと驚かされます。日本の軍隊はマニラの男性を捉え、後ろ手に結び動けなくして人間を弾除けに使っていたという信じられないことが行われていた。アジアの解放をという声の下で、何故アジアの多くの民衆に被害を与え続けたのか・・・。
今日の朝日新聞社説で、ある中学校の授業で「誇り」というDVDが使われたということを知りました。内容は、靖国神社にお参りをある青年から勧められ、その青年から「愛する国を守りたい、そしてアジアの人々を白人から解放したい。日本の戦いには、いつもその気持ちが根底にあった」「悪いのは日本、という教育が日本人から自信と誇りを奪っている」ということ聞き、靖国神社をお参りするというものだそうです。
アジアの国々は、あの戦争を引き起こしたA級戦犯の合祀について疑問を持っているんです。戦争を起こした戦争指導者たちが祭られるということに疑問を持つのでしょう。それを、日本の首相が参拝することが疑問を更に大きくする。私も大きな疑問を持ちますが、今年は首相は参拝せず、閣僚の参拝は高市沖縄北方担当相一人でした。
アジアの解放を唱えながら、占領し多くの被害を与えたという事実を言うことが、日本人の誇りを奪うというなら、その「誇り」とはなんなのでしょうね。「あやまり」続けるからなめられるとか、あの戦争は、アジアの民衆を解放する為にやったという方もおられますが、私が聞き及ぶ範囲ではそうは思えません。
私たちが持つべき誇りとは、あの大戦で大きな犠牲を出したことから戦争を放棄し、平和な国になったということではないのでしょうか。また、このことによりアジアの国々から信頼されアジアの平和のリーダーとなっていくことだと思います。
今、私たちはアジアの人々と連帯しながら、平和なアジアを作っていくことにこそ「誇り」を持てるのではないでしょうか。