卒業写真・・・
昨年、テレビのコマーシャルで流れるユーミンの「卒業写真」を聞いて、1969年からの3年間の高校生の時代を思い出しました。それから、「スナック一輝」のカラオケで「卒業写真」を唄うようになりました。
この歌を歌えば世界史のY先生を思いだすんです。先生と言うより兄貴というような人でした。欽ちゃんに似ているので欽ちゃんと自分であだ名をつけて喜んだり・・・でした。世界史の授業も楽しく、私とAちゃんが社会科学を研究するサークルを立ち上げた時も一番協力してくれた先生です。
先生との話で一番記憶にあるのが、卒業後焼酎を飲みながら、私が「カッコよく生きたい」というと・・・Y先生は、「カッコいい生き方とは、本人はカッコいいなんて思わない生き方だぞ。本人が一所懸命に生きてるから自分ではカッコいいなんてわからん。本人は苦しいときもある。でも、人は一所懸命な姿を見てカッコいいと思う。カッコつける人間はカッコ悪いな。」といった話でした。高校時代より、卒業してからの方が心配掛けたり、一緒に飲んだりで楽しかったですね。
そんな時に、先生の目が細菌性の炎症を起こし片目失明しかけました。見舞いに行ったら入院患者の小学生とキャッチボールをしていました。「おー、宇野 片目で何とか感覚が掴めるごたァ」と言って元気であることをアピールしてました。
闘病生活は思ったより長期になり、片目は失明状態、正常な方の目に細菌が感染すると両目失明となる恐れがあるというつらい状況が続いていました。そんな中で、精神的に疲れ果て体調を崩してしまったと連絡がありました。このとき見舞いに行くと予想に反して元気で、精神的な不調について、自分の体験を面白おかしく話してくれました。本当は、このとき先生は私を心配してくれて電話をかけてくれてたんです。だから、力いっぱい明るく振舞ってくれたんです。
私が元気でいるということが分かり、自分も復職が近いということで「もう見舞いにこんでいいぞ。忙しいだろうから・・・。年賀状も出さんでいい。俺も忙しくなるんで出さん。」と笑いながら話されたことを思い出します。「何かあったら連絡してください。」と告げていたので、体調が悪くなったら連絡があると思っていました。その後、大分まで行った帰りに朝倉の先生の自宅に短時間寄った時には片目は失明していましたが復職し、いつもの元気な先生でした。
それからは、連絡が無いときはお互い元気だと思い込んでいました。でも、その後両目失明していたということです。
15年位前に、偶然新聞部の顧問だったK先生と会って、「Y先生はどこの高校にいるんですか」と聞くと、「知らんかったんか?」「何を・・・」「Yさん、もう3年くらい前に亡くなったぞ」「エー・・・」。当然、Y先生は元気に教壇に立っているものと思っていました。
まだ40歳をちょっと過ぎたくらいの歳で亡くなってしまわれた。聞いたその場では、ただただ驚いただけでした。でも、帰りの車の中で、何で時には会いに行って励ましてやれなかったのかと悔やみ、涙が止まらなかった。
Y先生、私は先生の生きた年月を超え50代半ば、先生が好きだった焼酎を飲みながら、スナック一輝で「卒業写真」を歌っていますよ・・・・。
人ごみに流されないように
先生と話した生き方をしているつもりです
(つもりではダメといわれそうですが)
「あなたはときどき 遠くでしかって」といいたいが・・・
でも、いつも、見つめていてくれるような気がしてます。